考えたことのまとめ

備忘録です

「分かる」面白さについて考えました。

人はノスタルジーで生きているんですね。
懐かしいなあと思うと、当時の熱が蘇ってきて、それはもうわくわくします。
過去のことを思い出して、楽しかったことも悲しかったことも、それが今の自分を築いていることに気づくことって、誰にでもあると思うんです。

さて、すごい番組が始まりましたね。
「マヂキタ大草原」
マヂラブ野田さんと真空川北さんがMCを務め、ゲストにインターネット文化の何たるかをふわっと伝える、というような番組ですね。
インターネット文化の黎明期、ゼロ年代初頭の独特なインターネット文化にノスタルジーを感じると共に「メディアによってセンスが築かれている」というのを改めて感じました。

 

インターネット文化の共有

先日のM-1の感想でも述べた通り、特に真空のネタはインターネット文化圏のセンスで構想されているので我々20代後半~30代はドストライクなわけです。
学校から帰って即パソコンを立ち上げ、おもしろフラッシュ倉庫や2ちゃんのスレを徘徊する。今ではスマホによりインターネットはアクセスしやすく、かつ生活に根強く結びついているのですが、当時はそこまで発達しているわけでもないので、オタク趣味のひとつとして扱われてきたわけです。
当然、親にはいい顔をされませんでしたし、友達との会話に生かされるわけでもなく、閉鎖的な空間で楽しむしかなかったんですね。
閉鎖的な文化はいつしか「日本のインターネット文化」として発展していきます。だからこそ、日陰だったインターネット文化を「共有」できるのに、えらく感動しているのかもしれません。
オタク文化がメジャーになり、一億総オタク時代の現在では「共有」って当たり前のことですよね。あのネタがよかった、あの曲がぐっときた……ノスタルジーの「共有」は、何にも変え難いものです。

 

知的好奇心ましまし!

何か面白いことを見ている時、訳分からないのも面白いのですが、「分かる」面白さも非常に強力なものです。これはおそらく、知的好奇心や知識欲に根付いたものですね。
私はこの話をする時、「平成狸合戦ぽんぽこ」を出すのですが、あの作品は「分かると死ぬほど面白い」構成になっているんですよね。
歴史や美術作品などのオマージュ、パロディてんこもりなのですが、その元ネタを「分かって」いるので、夢中になるわけです。
お笑いでもそうですね。真空のネタも、元ネタを知っているか知らないかで面白いか面白くないかがきまっています。「分かっている」ことは、爆発的な面白さを生むんですね。「分かる」ことの面白さって、例えば勉強もそれに含まれますよね。分かるから面白い。面白いから、もっともっとハマりたくなる。ここらへんは人間としてわりと大切な部分じゃないかな、と思います。知的好奇心の塊みたいな人間で良かったな、と思うことは多々ありますね。生きる糧です。

 

パロディで育ってきた

さて、パロディの話が出てきましたが、パロディを面白いと感じるのは元ネタを知っていることはさることながら、自身がパロディを通じた作品を今までのメディアで見てきたことが多いかと思います。
Flash黄金期はオリジナル作品もありながら、アニメなどのパロディ作品も多くありました。
同時期に「アサメグラフ」も徘徊していたので、一層パロディに対して熱を持てていたのかもしれません。
もっと遡れば、NHKで「ハッチポッチステーション」や「むしまるQ」などのパロディを取り入れた番組をリアルタイムで見ていた世代です。むしまるQの「チョ→(E)!」がビートルズの「She Loves You」を元ネタにしたと理解した時、脳が爆発するかと思いました。完成度の高さとパロディの面白さを感じたのです。
少し脱線しますが、Q史上最もすごいのは「マッコウクジラはせんすいキング」だと思っています。アーティストのクレジットが「はい!万平連欧州旅行」なのですが、その名の通りYes、VAN HALEN、EUROPE、Journeyを見事に融合させた一曲です。違和感なく繋がれたサウンド、いつ聞いても感動します。
そこからずっとパロディものは喜んで見るのですが、幼き頃メディアから吸収したものはずっと自分の中に残っており、センスとして昇華されているなあ、と思いました。

 

無理やりまとめるか……


私たちが感動したり、面白いと思ったりするときは「分かる」ことが前提になることがあるよ、という話でした。
「分かる」ことを共有するのも、面白さを生んでいますね。
話がまとまらなくなってしまいましたが、歳をさかねても知的好奇心は大切にしていきたいものですね。分かることは、面白い。